プロフィール
こんにちは管理人のサッコです。
当サイトにご訪問いただきまして誠にありがとうございます。
ここではボクの自己紹介をさせていただきます。
まずはニックネームのサッコという名前ですが、3人の子供がいるので、3子といった感じで決めました^^
もちろん妻は1人しかいません。
妻を入れるとシッコになり、おしっこみたいなんで辞めました。
このサイトはそんなサッコ親父の経験や教訓を書いたりしています。
読んで良かったー
なんて思ってもらえたら幸いです。
サッコの物語
ボクには今まで生きてきた中で、大きなターニングポイントが2つありました。
- 小学低学年でスイミングクラブに入ったこと
- 41歳で宅建試験に合格したこと
この2つです。
運動ダメダメだった幼少時代【序章】
今では泳ぐのがとても好きで、前世は魚だと自分で思い込んでいるくらいですが
小学2年生までは全く泳げませんでした。
泳ぎもダメでしたが、小さい頃は陸もあまり好きではありませんでした。
シールやカード集め、ファミコンが好きで、そういったインドアで遊ぶことが一番楽しい少年でした。
そんな運動ダメダメな少年がこれから覚醒していきます。
覚醒した小学高学年時代
そんな運動ダメダメな息子を見かねた母が、小学2年生だったボクをスイミングクラブの体験会に連れていってくれました。
ここが1つ目のターニングポイントです。
母親のたか子はとっても活発で、家にいる時はいつもバタバタと働いている人でした。
ちなみに余談ですが、このブログサイトは当初【バタアシクラブ】というサイト名で運営していました。
バタアシのようにバタバタ前へ進む内容のサイトにしたかったからです>* ))))><
体験会がきっかけでスイミングクラブに入会することになりました。
そして、なんとその1年後には大袈裟ではなく、ボクは水を見るとよだれが出るくらい泳ぐのが大大大好きな少年となったのでした。
泳ぐのが好きになったため、水泳も抜群に早くなっていきました。
またスイミングを習ったことでなんか足まで早くなっていき、小4のときには運動会でリレーの選手になったりもしました。
足が早くなったおかげでなぜかモテるようになり、人生で初めて彼女もできました♡
高学年になると、水泳大会では出る種目のほとんどが新記録を出すまでに成り上がっていきました。ジュニアオリンピックにも出場しましたね。
多分ボクの絶頂期はここです( ; ; )
大人になって腹がちょっと出てきた今でも泳ぐことが大好きで、このきっかけを与えてもらったたか子にはとても感謝しています。thank you takako
ちなみに遺伝だと思いますが、ボクの息子も運動音痴でした(^ ^
ですが同じように運動関係の習い事を始めたらボクと同じようにめっちゃ覚醒しましたね。
青春からのどん底
その後のボクは、中学では剣道部の主将をつとめるような前にでる人間になっていきました。
“ 懐かしいなぁ、 しかし剣道の小手ってなんであんなに臭いんだろう、
青春の匂い?”
今このブログを書きながら思い出してました。
そんなこんなで、中学生活は酸っぱい青春を過ごしました。
高校は5年間の国立高専に入学しました。
高専では学生会長をつとめ、ソーラーカーの大会では上位入賞するといったなかなかの活躍をしていきます。
高専時代も結構濃い5年間の学生時代を送りましたが、そのうち、死ぬまでにまとめて書きたいと思います(^ ^
そして高専の5年間を無事卒業することができました。
ところが、初めて就職した会社が生粋のブラック企業だったんです、(*^_^*)
新卒1年目でダークな世界に一歩足を踏み入れてしまったんです。
その会社では毎日帰りが23時といった感じでした。
“ まだひよっこの新入社員が23時まで残業するってどんな会社だよ!月150時間残業してるのに、20時間しか残業代はつけてダメとかふざけんなよー”
って毎日イヤイヤながら会社にいってましたね。
そんな生活だったので精神もイカれてしまい、ワインを飲んでアルコールをチャージしてから会社にいく日もありました。
社員寮から歩いてすぐだったので問題ないです ^ ^
まあ、きちんと就職先を選定していなかったボクも悪いんですけどね。
今だったらリクルートでやっているグッドポイント診断で、確実に自己分析してから就職しますね。
自分にはどういった強みがあるかがわかっていれば、もっと早く今のような仕事に出会うことできたと思います。
そのブラック企業とはちょうど1年でサヨナラすることにしました。
最後は逃げるように会社を去りました。
あの頃今のように退職代行サービスがあれば絶対に使っていましたね。
3万円くらいでキッパリ辞められるなら安いもんですよ。サラバッ!なんて。
しかも退職できない場合は100%返金なんですよ。
2社目は普通の電気資材会社に転職しました。
ここは普通に仕事も安定していたため、23歳のときに学生時代から付き合っていた同い年の妻とゴールインしました。
それから3人の子供にも恵まれ、マイホームも購入して、慎ましくも幸せな家庭を育んでいきました。
しかしここからまた紆余曲折があったわけです。
暗中模索のサッコ親父
30代後半になったころ、子供もある程度大きくなり、パッとしない会社員生活を送っていました。
ですがだんだんと仕事にやりがいを感じなくなっていきました。
医者にはいってないですが、多分うつになっていましたね。
そんな感じで半年くらい過ごしていたのですが
ある日スイッチが入ります。
“ こんなことではいかんぜよ!”
なにを血迷ったかボクは40歳でベンチャー企業に転職することを決意しました。
会社の仕事は安定していましたが、チャレンジやイノベーションといったことがほとんどない会社で、つまんなくなったといった理由です。
家庭があるのに我慢して働けよって話ですよね。
しかし当時のボクは生きている感じがしないくらい感情が冷え込んでしまっていたんです。
その時はなんとか妻の嫁ブッロクをクリアして転職しました。
生きる希望を抱いて入ったベンチャー企業でしたが、ボクにはまったくマッチしませんでした。
ベンチャー企業だったのでまだ組織がきちんとできていなく、毎日が新鮮ということは魅力的だったのですが、40歳のボクにはかなりきつい環境でした。
休日でもチャットアプリに何度も連絡がきますし、とにかくスピードが重要だったため心がいつも落ち着きませんでした。
そして半年ほどで、だんだんと数字と結果を追う毎日に疲れていきました。
仲がよかった妻とも些細なことでちょくちょく喧嘩をするようになっていきました。
正直離婚の文字も薄っすら浮かび上がっていましたね。
それくらい心が萎えていました。
3人の子供も、高校生と中学生と小学生になっていてお金がかかる年齢だったので、もう無茶はできませんでした。
そんな暗中模索している状況に、ようやく一筋の光が差し込めます。
宅建ってなんだ
初めて宅建という資格を知ったのは、建設会社で働いていた同級生と久し振りに会ったときでした。
その同級生は「宅建を持っていると土地を買って街を作ることができるから面白いよ」といっていたんです。
まちをつくる?
なんかわかるような、わからないような判然としない気持ちだったので、その帰りに本屋に立ち寄り宅建の本を手に取りました。
しかし本を読んでも何がなんだかさっぱりわかりませんでした。
後でわかったんですが、その本は宅建試験の参考書で、いきなり手に取って理解できるものではありませんでした。
まちをつくる?
この言葉が頭からなかなか離れなかったので、ネットできちんと調べてみることにしました。
すると、
だんだんと宅建士というものの輪郭がはっきりと見えてきました。
“ これだ!!”
ボクは宅建士になろうと決意しました。
宅建士はまちをつくる【最終章】
日本の国土はどんな感じで分かれているのか。
自分が住んでいる街はどういった計画でできているのか。
こういった宅建の内容にすごく興味をそそられました。
宅建を持っていれば街づくりに関われることに魅力を感じました。
また最終的には独立だってできます。
宅建士になる!と決めたのはちょうど師走の時期です。
10月の宅建試験までまだ10ヶ月あったので、余裕で勉強できると考えていました。
しかし実際に勉強してみると、まったく余裕ではありませんでした。
結果的に一発で合格できて良かったんですが、かなり勉強は辛かったです。
そして41歳で宅建士になり、未経験で不動産屋に転職することができました。
今では「まちをつくる」仕事もやっています。
この仕事はお客さんと直接やりとりする場面が多く向いていない人もいるかもしれませんが、ボクにとっては天職です。
近い将来ボクは宅建士で独立する予定です。
ときどきボクは子供たちに街がどういった感じで作られているかを話たりしますが、子供たちも興味を持って聞いてきます。
人口減少で日本は今後衰退していくと言われていますが、まだまだ土地や建物といった不動産の流動は盛んです。
またいくらAIが進化しても、不動産は人と人との対話で成り立っているものですから将来も安心です。
ボクは宅建士になってほんと良かったと思っています。
将来、サッコの3人の子供の誰かと一緒に店舗を構えることができたら最高です。
おわりっ